「イエス復活」の第1報

          2020412日 池田バプテスト教会 イースター礼拝

  証 担当 小林 常昭

  週報の冒頭聖句 

  「おどろくな、汝らは十字架につけられ給いしナザレのイエスを尋ぬれど、既に甦へ

   りて、此処に在さず、観よ、納めし處は此處なり。」(文語訳聖書 マルコ伝 16:6

 

  讃美歌 496番 「うるわしの白百合」

  讃美歌 154番 「地よ、声高く 告げ知らせよ」

 

聖書

 安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香油を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。(マルコによる福音書第1618節 新共同訳)

 

1.クリスマスとイースター

 イースター:主の復活祭、おめでとうございます。

 クリスマスとイースターはキリスト教の2大祝祭日です。

 クリスマスはイエス・キリストの生誕、降誕をお祝いする日、                

 イースターはイエス・キリストの復活をお祝いする日です。

 

 クリスマスは、毎年「1225日」と決まっていて、誰もが知っているし、クリスマスが近づいてくると街や商店などに装飾が施され、クリスマス・ソングが流れてきます。また、クリスマス・プレゼントに心が躍ります。

 さらに「1224日」はクリスマス・イブ、また最近では「1223日」は「イブ・イブ」などと呼ばれて、さらに楽しみが膨らんでいるようです。しかし、正確には1224日がクリスマス・イブではありません。「クリスマス・イブ」は「クリスマスの夜」(Christmas Evening)ですから、「1225日の夜」です。

 そうです、ユダヤでは一日が日没から始まり、日没で終わるのです。

 

2.イースターの日はどのようにして決まるか?

 クリスマスと違って、イースターは「毎年、何月何日」と、日にちが決まっているわけではないため、クリスチャンの間でも「今年のイースターはいつだったっけ?」といった具合で、よく解りません。毎年違うのです。

 

 イースターはこのようにして決まります。

 春の、昼と夜の長さが同じ日が、春分の日です。この日は太陽が真東から昇り、真西に沈みます。その、春分の日のあとに来る満月の日から数えて、最初の日曜日がイースターです。

 ユダヤ教では土曜日が「安息日」ですが、キリスト教ではユダヤ教の安息日から切り離して、日曜日を「主の日」としました。

 ということで、今年のイースターは〈今日〉、412日(日)となりました。キリスト教国の欧米ではイースターは大きなお祭りとして盛り上がるようですが、日にちが毎年違うことなどから、キリスト教国ではないわが国では、イースターは教会以外ではなかなか盛り上がりません。

 

 「イースター」(Easter)は英語です。「イースター」(Easter)の語源はゲルマンの神話、“春の女神”「オイストレ」(Eostre)に由来します。キリスト教が異郷(異教)の祭を取り込み、合体したのです。したがって、本来の「主イエスの復活」の意味からすると、「イースター」というよりも、日本語で「主の復活祭」という方が正しく伝わります。

 

3.「過越の祭」との関係

 また福音書の記述によれば、「イエスの十字架と復活の出来事」はユダヤ教の過越の祭の期間であった、と記されています(マルコ福音書141以下)。ユダヤには「過越の祭」(ヘブライ語で〈ペサハ〉、英語では〈Pass Over〉)という春を告げる大きなお祭りがあります。ユダヤ暦は「太陰太陽暦」です。ユダヤ暦では「ニサンの月」が一年の始まりの月、1月です。その「ニサンの月」の15日からの1週間が「過越の祭」で、初日の「ニサンの月」15日は、グレゴリオ暦の3月末から4月頃の満月の日となります。

 今年(2020年)は48日(水)の日没から416日(木)の日没までが「過越の祭」です。 奴隷として拘束されていたユダヤの民がエジプトから脱出(出エジプト)する際に、神が災いを過ぎ越して(pass-over)守って下さったことに由来し、感謝する日です。

 

4.マルコ福音書が書かれる時代

 イエスが十字架に架けられてからマルコが福音書を書くまでの期間は、キリスト教にとって激動の時代です。ユダヤ教の一集団としてスタートした共同体が、キリスト教として歩み始めた段階です。

 十字架に架けられて処刑されたナザレのイエスが「メシアだ」、「キリストだ」、「聖書(旧約聖書)に預言されている救い主だ」、という集団がユダヤ教の中に生まれました。イエスの他にも「メシアだ」「キリストだ」と呼ばれる人が多く出た時代でした。もちろん、彼らは正統的なユダヤ教を名乗る者たち、すなわちパリサイ(ファリサイ)派や律法学者たちからは排斥されました。排斥した中心的な人物の中にサウロ、後のパウロがいました。

 

 排斥されながらも頑張ったのは、かつてのイエスの弟子たちでした。ペトロが中心となり、かつてのイエスの弟子たちがリーダーとなって初代のキリスト教会が形成されていきます。そして、キリスト教会を排斥していたパウロが復活のキリストに出会い、キリストの「使徒」(Apostolos)と名乗ります。やがてパウロは首都エルサレムに向かい、ペトロたちキリスト教会の中心人物と会って、キリスト教徒として認められました。

 このような中で、我らの主・ナザレのイエスの生涯と主イエスの言葉を最初に纏めたのが、福音書記者マルコです。

 その中でマルコは、イエスが十字架に架けられて殺された時、彼の弟子たちは誰一人として、その場にいなかった、と証言しているのが今日のテキストのすぐ前のところです。

 

5.Were You There ?

 イエスが大祭司の前で嘲笑されたり、つばきをかけられたり、叩かれたりと苦しみを受けていた時、ペトロは大祭司の屋敷の中庭まで入っていました。イエスを助けることができないとしても、これからどうなるか見届けたかったのでしょう。もしかすると、ここでイエスが奇跡を起こされるかもしれませんから。

 しかしペトロを見つけた大祭司の女中の一人が「あなたもあのナザレ人イエスと一緒だった」と言ったら、ペトロは「わたしは知らない」と、それを打ち消して庭口の方へ出て行った。このようにして三度も否定し、「にわとりが二度鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出して、ペトロが泣き続けた、と記しています(145572)。

 

 学生の頃によく歌った英語の讃美歌の中の「Negro Spirituals」(黒人霊歌)に、

Were You There?」という歌があります。

   Were you there when they crucified my Lord?

   Were you there when they crucified my Lord?

   Oh!  Sometimes it causes me to tremble, tremble, tremble,

   Were you there when they crucified my Lord?

     彼らが我が主イエスを十字架につけた時、

      おまえはそこにいたのか?

       ああ、 ときどき、その問いかけが迫ってきて、わたしを震え上がらせる。

                「おまえはそこにいたのか? 主イエスが十字架につけられた時に」と。

 

 この歌は『讃美歌 第二編』の177番に「あなたも見ていたのか」というタイトルで載せられています。

  (もし、吉田哲朗先生がご存命であれば、ここで特別讃美をして頂きたいところです。)

 イエス処刑の場から弟子たちすべてが立ち去り、逃げ去り、弟子として、仲間として助けようともせず、行動を共にしようともしませんでした。そのことの自責の問いは、弟子たちには大きくのしかかっていたでしょう。

 そして、その自責の問いは弟子たちに対してのみならず、私たちにも迫ってきます。

わたしたちのために、わたし自身のために主はご自身の肉を裂き、血を流されたのに

主が十字架に架けられたときに、わたしはそこを離れ、どこにいたのか?

Were You There?」(おまえはそこにいたのか?)と。

 そして、その時わたしには、同時に讃美歌332番のメロディーと歌詞が迫ってきます。

    主はいのちを あたえませり、

       主は血しおを ながしませり。

              その死によりてぞ われは生きぬ、

                 われ何をなして 主にむくいし、

 

6.十字架の死とその後の様子

 そのような悲しい、重く苦しい気持ちを抱えながら、今日のテキストが示す情景を確認していきたいと思います。

 

 さて、イエスは金曜日の午前9時頃に十字架に架けられ(15:25)、その日の午後3時頃に息を引き取った(15:33)ようです。十字架に架けられたまま6時間とは、残酷な処刑です。イエスが処刑され、息を引き取られた時、ペトロを初めとするイエスの弟子達はみんなイエスに失望したのか、裏切ったのか、棄てたのか、処刑の場にはいませんでした。

 ただ、遠くから見守っていた人たちの中に、「マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメ」という3人の女性がいた、と明記されています(15:40)。そして、この3人の女性が、その3日目に「イエス復活」の知らせ(第1報)を聞いた、と大変重要な役割を担う者として登場します。

 

 処刑の日は、日没まであまり時間がありません。木に架けられた罪人の死体は、その日のうちに葬らなければなりません。それが律法(トーラー)の決まりです(申命記21:2223)

 さらに、日没からは安息日となります。安息日には労働はもちろん、葬儀や納骨などもできません。その日の日没までに死体を墓に運ばなければ、死体を次の週の初めまで、そこに晒したままになります。そんなことは許されません。

 

7.納骨と墓の入り口の封鎖

 アリマタヤ出身で身分の高い議員のヨセフという人がピラトに願い出て、イエスの遺体を引き取り、墓に納め、大きな石を転がして入り口を塞いだ、と記されています。その墓はヨセフの墓だったのでしょう。洞窟のように広い墓で、その中に人が入ることができるし、いくつもの遺体を並べることができます。マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメの3人の女性はその様子を見ていました

 「見ている」(テオーレオー)は「見つめる」「識別する」「確かめる」といった意味合いの言葉です。ぼーっと見ていたのではなく、「家政婦は見た」のように、確かめるように見ていたのです。墓には、簡単には開けられないような大きな石の扉が置かれました。

 そして安息日です。この日には何もできません。

 

8.香油を塗るために

 安息日が明けた早朝に墓に行った女性がいました。マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメの3人の女性です。イエスに油を塗るために香料を買って持って行きました。

 

 あるとき、こんなことがありました。一人の女が純粋で高価なナルドの香油の入った壺を持って来て、香油をイエスの頭に注ぎかけました。そこにいた何人かの人が「高価な香油を無駄遣いして……」と憤慨しましたが、イエスは、「前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた」のだと、その女のするとおりにさせました(マルコ1439)。

マグダラのマリアたち3人も、埋葬する作業の一つとしてイエスに油を塗るために、香油を買って持って行ったのでしょう。

 「埋葬の準備」のほかにも油を塗ること、塗油には色々と重要な意味があります。

 まず、「病者の塗油」というのがあります。ローマ・カトリック教会では「7つの秘跡(サクラメント)」の一つに「病者の塗油」が含まれています。

 「7つの秘跡」とは

  (1)洗礼(バプテスマ)   (2)堅振(堅信)   (3)聖体

  (4)ゆるし(悔悛・改悛・告解・告白)

  (5)病者の塗油   (6)品級(叙階)  (7)婚姻

です。プロテスタント教会ではバプテスマ(洗礼)と聖餐の二つを聖礼典(礼典)としていますが、これらはカトリック教会での「(1)洗礼(バプテスマ)」と「(3)聖体」に相当します。

 また、ヘブライ語の「メシア」、ギリシア語の「キリスト」は、「油注がれた者」という意味の言葉です(イザヤ書61:13、使徒4:2710:38)。ヘブライ語の「マシアハ」がギリシア語圏に入って「メシアス」(メシア)と呼ばれるようになります。そして、「メシアス」のギリシア語訳された言葉が「クリストス」(キリスト)です。王として、救い主として認められる印として、塗油、油が注がれていました。

 さまざまな意味から考えても、3人の女性は、いま必要な、大切なことをするために香油を持参し、主イエスに対して「油注ぎ」をしようとしたのでしょう。

   

9.「イエス復活」の第1報

 墓に近づいてみると、「石は既にわきへ転がしてあった。」(16:4

 墓の中に入ると「白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えた。」(16:5

 そして、その人がイエスについて、「あの方は復活なさった。」「行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』。」と、婦人たちに告げます。(16:6

 すると、婦人たちは「逃げ去った」。「震え上がり、正気を失っていた」。

 「だれにも何も言わなかった」。「恐ろしかったからである。」(16:8)。

 

白い長い衣を着た若者を「恐ろしい」と思ったのでしょうか? 一瞬は、そう思ったかもしれません。この人は「主イエスだろうか?」いや違う。「アリマタヤのヨセフだろうか?」いや違う。先日、ヨセフの一挙手一投足を、しっかりと、確かめるように見ていましたから。したがって、この二人でないことは、すぐに判断できたでしょう。

 そうすると「誰かがイエスの遺体を奪った」、と思ったのでしょうか?

 「復活した」と言われても、そのような考え、そのような信仰は持ち合わせていなかった、ということも考えられます。

 ユダヤ教徒なら、誰でも復活信仰を持っていたわけではありません。サドカイ派という、ユダヤ教内のエリート集団があります。神殿などで祭儀を担当する、いわゆる聖職者階級です。彼らはモーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)のみを重要視し、復活を信じません(マルコ12:1827)。

 それに対して、ユダヤ教内の反エリート集団であるパリサイ(ファリサイ)派は、モーセ五書のほかに口頭で伝えられている口伝律法も、預言の書も、モーセ五書と同様に敬意を払い、評価します。また復活を信じます。

 イエスやパウロはパリサイ派に属していたでしょう。

 

 いずれにせよ、彼女たちには想定外の出来事であり、震え上がり、正気を失ってしまい、恐ろしくて逃げ去りました。そして、「だれにも何も言わなかった」。

 

10.うるわしの白百合

 今日のテキストはここまでです。しかし、ここで終わりではありません。ここからキリスト教がスタートするのですから。あとで、落ち着いて冷静に考え、彼女たちはペトロや弟子たちの所へ報告に行きました(マルコ福音書16:911)。

 

 「礼拝中、証の前後に歌う讃美歌2曲を選んでください。」と求められました。そこで、証の前の曲に讃美歌496番を選び、一緒に歌う予定にしていました。この讃美歌は現在の讃美歌集では、「その他・復活」という分類表示がされていますが、以前は「雑」とされていました。讃美歌は日本基督教団讃美歌委員会が編纂する際に、礼拝における讃美を主眼として選び、ドイツのコラールを中心に採用しました。その基準からすると、この讃美歌496番は何だかセンチメンタルな歌で礼拝向きではないし、聖書的だとも言い難い。「うるわしの白百合 百合の花、ゆりの花……」と、まるで百合の花の美しさを讃えた歌のようです。しかし、これはアメリカで生まれた讃美歌で、愛唱歌としてもとても人気のある歌であることから、讃美歌集の終わりの方の「雑」の所に収めたのでしょう。

 

 白百合学園、白百合女子大学のように、白百合は校名にも用いられています。また、カトリックの聖母学院の校歌などには、「学びの園の 白百合の花」と歌われています。さらに、百合子さん、百合枝さん、小百合さん、と女性の名前としても人気があります。

 「白百合」はカトリック教会では、聖母マリアの象徴だそうです。同様に、清らかさ、優しさ、純潔、気高さを秘めた女性の象徴であり、「白百合のようだ」と表現されることは、女性にとっては最高の賛辞だそうです。

 また「白百合」は、中世から「復活の象徴」とされてきました。秋に球根を植えて、冬を越すと芽が出て、やがて大きな花を咲かせます。冬になり花が枯れても、地中の球根から再生する。まさに「復活の象徴」です。

 

 そのように考えると、この讃美歌496番で歌われる「うるわしの白百合」とは、安息日の開けた早朝に香料を携えてイエスの墓に向かった3人の女性のことを、清らかで、素晴らしい働きをしたことから、「白百合」のようだと讃えた歌ではないでしょうか?「イエス君の墓より いでましし昔を」と歌われているように、ここに咲いた白百合によって、3人の女性によって、「イエス復活」が弟子たちに伝えられ、希望を失っていたペトロや弟子たちの信仰が復活したのです。

 そして今、私たちも「イエス復活」の知らせに触れ、見失っていた目標・希望が甦ります。失いかけていた信仰が甦ります。

 「主イエスの復活」を喜び、感謝しましょう。

 「主イエス復活の知らせ」を喜び、感謝しましょう。

                              アーメン